歴史

郭嘉 | 三国志の英雄、曹操がその死を嘆いた軍師

郭嘉(かくか)、字が奉孝(ほうこう)は三国志で有名な

魏の国の主、曹操に仕え軍師として活躍した人物です。

 

名家の有力者に見切りをつけて曹操に仕える

 

最初、名門袁家(4世代にわたり漢王朝の宰相級の役職に就く)の

袁紹と会いましたが、袁紹では大事が成せないと判断し袁紹のもとを立ち去りました。

その後、荀彧(魏国の軍師)が曹操に郭嘉を推挙しました。

郭嘉を召し出し天下のことについて語りあった曹操は

「大事を完成させてくれるのは郭嘉だ」

と語り、郭嘉も

「まことの我が主君」

と双方喜び郭嘉は曹操に仕えることになりました。

 

優れた状況分析能力で度々進言し、功績をあげる

 

郭嘉は状況分析に優れた人物でその能力を活かして行った

曹操への進言を紹介します。

 

曹操、袁紹の比較論

曹操の最大のライバルは前述で出てきた袁紹でした。

勢力としては袁紹の方が優勢で、そのことは曹操自身も把握していたため

袁紹と敵対することをためらっていました。

そんな曹操に対し郭嘉は曹操が袁紹に勝る十点をあげました。

 

  1. 道:礼式・作法に縛られない
  2. 義:天子を奉じている
  3. 治:戦乱の世を招いた寛(しまりのなさ)ではなく厳しさを持って世を糾そうとしている
  4. 度:血縁優先ではなく才能重視で人材登用している
  5. 謀:決断力に優れている
  6. 徳:上辺を飾らず慎ましさをもって従え、功績に報いる
  7. 仁:眼に触れないことも周到に考慮し処置する
  8. 明:道義をもって部下を統御し、讒言が行われない
  9. 文:善し悪しについて、礼を持って推し進め、法を持って正している
  10. 武:用兵は神のごとくで、軍人は心服している

 

上記を指摘した上で袁紹がその時に敵対していた公孫瓚を攻撃している間に

袁紹と戦う上で邪魔になる別敵の呂布を討ち後顧の憂いを払うよう進言しました。

 

郭嘉の進言により呂布を捕らえる

呂布征伐では三度の戦いで呂布を撃破しました。

呂布は退却し、防備を固めたため兵の疲弊も考慮して

曹操は軍を引きあげようとしましたが、郭嘉は進言しました。

「呂布は戦闘で悉く破れ意気は衰え力は尽き揺らいでおります。

もし勝ちに乗じて攻撃すれば捕らえることができましょう」

曹操は進言に従いそのまま包囲し呂布を捕らえることができました。

 

孫策の死を予言

南方で勢力を拡大して勢いのある孫策は

曹操が袁紹と官渡で対峙していると聞き

曹操の本拠地を窺い攻撃する姿勢を示しました。

曹操陣営は戦慄しましたが郭嘉は予言の言葉を吐きます。

「孫策は江東を併呑したばかりで安定しておりません。

多数の軍勢を持っていたとしても野原を一人でかけているのと変わりません。

必ず匹夫の手にかかって死ぬでしょう」

郭嘉の読み通りに刺客の手にかかって孫策は亡くなりました。

しかし本当に予言が当たっただけなのか、それとも郭嘉が刺客を手配して

孫策を暗殺したのかはわかりませんが曹操は危機を脱しました。

 

袁家の後継者争いを予測

郭嘉の曹操・袁紹比較論の通り曹操は袁紹を見事破りましたが

袁紹を殺すことはできませんでした。

袁紹は敗戦後も領地を保っていましたがその袁紹が病死しました。

曹操は袁家に戦を仕掛け子息である袁譚、袁尚に対し連戦して勝ち

曹操配下の将軍たちは滅亡するまで攻撃しようとしました。

しかし郭嘉は袁紹が後継者を立てずに死んだため、

ここで曹操が軍を引きあげ外圧がなくなれば後継者争いが

発生すると曹操に献策したため、曹操は軍を返し

別地方への遠征(南征)に向かいました。

その後、郭嘉の予想通り袁家では後継者争いが発生し、

その混乱に乗じて袁家を滅ぼしました。

 

早過ぎる死

 

郭嘉は38歳で若くして亡くなりました。

曹操は配下に

「諸君らは皆ワシと同年輩じゃ。ただ郭嘉だけが一番若かった。

天下平定がすめば、後事を彼に託そうと思っていたのに。運命だな」

と語り郭嘉の死を惜しんだ。

 

おわりに

 

郭嘉の死後に起きた有名な赤壁の戦いに敗れて

曹操は郭嘉の不在を嘆いたそうです。

郭嘉がもし生きていたら赤壁の戦いの結果がどうなったか

想像すると楽しいですね。

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