歴史

グスタヴ・アドルフ2世 | スウェーデンを北欧の大国へ押し上げた北方の獅子王

グスタヴ・アドルフ2世はスウェーデンの王で北方の獅子王と呼ばれました。

ドイツで行われたカトリックとプロテスタントの間で行われた

宗教戦争である三十年戦争で活躍しました。

 

早熟の英才

 

グスタヴ・アドルフ2世は早くからその才能を評価されており

11歳から国務会議にも出席し、13歳で外国の大使を迎える役目も

つとめたようです。

 

負の遺産を解決

 

17歳でスウェーデンの王位を継承しました。

同時に以下の3つの国との戦争状態の解決も

ひきつがなければなりませんでした。

デンマーク

ポーランド

ロシア

デンマークとは2年間に渡る戦争の末に

クネレドの和約を結びました。

さらに4年後にロシアとストルボヴァの和約を結び

ロシアをバルト会から締め出すことに成功しました。

そしてポーランドとはさらに13年後にフランスの仲介により

アルトマルク条約により休戦になりました。

 

国内改革

 

アクセル・オクセンシェルナは宰相として

グスタヴ・アドルフ2世を補佐して

国内の改革を行いました。

 

貴族階級の支持を得る

貴族の支持を獲得するため、勅書を発布し

王直属の要職を与えるとともに税を免除する等の

特権を与えました。

その見返りとして王への忠誠と厳格な規律を求めました。

 

冶金術の発展

スウェーデンの経済は低迷していましたが、

その解決策として鉄と銅鉱脈の発掘に

力を入れて、冶金術が発展しました。

その結果、国内の経済を支える産業に成長しました。

 

軍隊

グスタヴ・アドルフ2世は従来の槍兵による方陣陣形ではなく

隊列を少なくし機動性を高めた。

そして軽装備の独立した砲兵隊を設置し、

砲兵、騎兵、歩兵が有機的に連携を行う

戦術を確立しました。

 

30年戦争参戦

 

グスタヴ・アドルフ2世はフランスの支援のもと

30年戦争に参戦しました。

 

ブライテンフェルトの戦い

グスタヴ・アドルフ2世はザクセン選帝侯の援軍を得て、

ティリー伯(カトリック側の将軍)と対峙することになりました。

ティリー伯は方陣陣形による正面からの激しい攻撃をしかけましたが、

グスタヴ・アドルフ2世の迅速で的確な指示と

砲兵隊や軽装備で高い機動性を発揮した騎兵等の

活躍により打ち破りました。

 

獅子王の最期

ティリー伯の後を受けたヴァレンシュタインが

カトリック側の将軍としてグスタヴ・アドルフ2世と

リュッツェンにて戦いました。

形勢はスウェーデン優位で進んでいましたが、

グスタヴ・アドルフ2世は軍を直率して

戦場で指揮をとっている時に狙撃され

戦死してしまいました。

しかし、勝敗はスウェーデンの勝利で終わりました。

 

おわりに

 

軍を率いる王が亡くなっても戦争に勝ってしまうのはおどろきです。

スウェーデン軍は既に近代化した軍隊になっていた証拠なのかもしれませんね。

あっさり書いてしまいましたがリュッツェンで戦った

アルプレヒト・フォン・ヴァレンシュタインも

興味深い人物なので今後書くかもしれません。

-歴史
-

© 2024 歴史エンタメ Powered by AFFINGER5