晏嬰(あんえい)は中国の春秋時代の人物で斉という国の宰相です。
斉は桓公が君主の時代に管仲、鮑叔等の優れた家臣の補佐もあり
春秋時代の覇者として一時代を築きましたが、晏嬰が活躍する時代には
斉の国力は衰えていましたが、そんな斉を支え活躍したのが晏嬰です。
そしてタイトルにもある通り中国の歴史書である史記を著した、
司馬遷が同時代に生きていれば御者のような身分になってでも
身近に仕えたいと思った人物です。
目次
節約・倹約を努力して行う
晏嬰は斉の宰相になった後でも、私生活では質素な生活を送り
その人柄も謙虚で皆から信望を集めていたようです。
そして公人として景公の時代に宰相として、
凡庸な主君に対し諫言して誤りを正し、
自分の行いも常に正していました。
晏嬰は国の政が道理にかなっていれば主君の命令にしたがい、
道理に合わない場合は諫言を行っていたようです。
愚弄する相手に対し、見事な切り返しで相手を黙らせる
当時は群雄割拠の時代でしたが晏嬰は常に毅然たる態度で外交を行い
斉が軽んじられないように導いていました。
強国であった楚の国に使者として赴いた時にある出来事が起きました。
晏嬰は身長が低かったのですが、楚はそんな晏嬰を愚弄しようと
通常案内するはずの大門に案内せず一国の宰相に対して
本来案内しないはずの小門から入るように導こうとしました。
それに対し晏嬰は
「犬の国に使者として赴いたのなら犬の門から入ります。
ですが、貴国は犬の国では無いはず。
この門から入るわけにもいきますまい」
と語り、案内役も仕方なく大門へ案内しました。
その後も楚国の愚弄は続き楚王が、
「斉の国には人がいないから、そなたを使者にしたのか」
と風采の上がらない晏嬰を揶揄しました。
しかし晏嬰も負けておらず、
「わが国には人が溢れかえっております。人がいないとはとんでもないことです」
「では何故、そなたを使者として遣わしたのか」
「わが国では使者を遣わすにあたって、賢い国には賢人を遣わし
愚かな国には愚者を遣わすようにしております。
その為、私が貴国に遣わされた次第でございます」
と晏嬰は切り返し、楚王は何も言えなくなってしまいました。
このように晏嬰は機知によって侮りを回避し、斉の面目を保ちました。
おわりに
私自身が初めて晏嬰をしったのは、『史記』ではなく
宮城谷昌光の小説『晏子』でした。
晏弱、晏嬰親子2代にわたるお話になっており、
小説『晏子』の読者には晏弱の方が人気のようですが
自分は作中での晏嬰の率直な言動、行いにすごく惹かれて
楽しんで読み進めました。
読んだことがなく興味があればご一読ください。
今回あげさせていただいた以外にも色々なエピソードが
詰まっており面白いと思います。